東京海洋大学品川キャンパスで7月7日に、大学院・海洋管理政策学専攻の設立2周年を記念し、シンポジウム『水産業と海辺の暮らしは今 −社会経済の変化の中にある水産業の変貌を探る−』が開催された。会場の楽水会館には、業界関係者・研究者・学生など多数詰めかけ、席が足りずに立ち見が出るほど盛況であった。
シンポジウムは3部構成で、1部は漫画家のラズウェル細木氏・佐賀市漁村女性の会の古川由紀子氏・ドキュメンタリストの瀬戸山玄氏の3名が講演を行なった。2部では、川辺みどり東京海洋大学准教授が漁業者・研究者・一般の人を結ぶ同大学の教育活動の紹介を行い、3部では東京海洋大の馬場治教授が「日本に起きている漁業構造の変化」、末永芳美教授が「北方四島の現状と道東の漁業」、工藤貴史准教授が「日本の離島はどうなっていくのか」と題した各講演を行なった。
この中から今回は佐賀市漁村女性の会の古川氏の話題を、次回は・ドキュメンタリストの瀬戸山氏の話題を紹介する。
古川由紀子氏は合同会社 佐賀市漁村女性の会代表。民間企業を結婚退職し、80年に西与賀漁協(現佐賀県有明漁協)に再就職し、信用部門を担当。同漁協は有明海にあり、全国でも海苔のトップブランドで7年連続で価格の一位。全国2000年に漁協女性部員52名参加の加工品事業部を結成し、業務命令で指導することになった。 板海苔は3cm以上のキズがあると入札に持ち込めず、キズ物は自家消費されるか、焼却処分されていた。身の柔らかい一番海苔のキズ海苔を使い、付加価値を付ける為に佃煮を作ることに。ナショナルブランドにないもので、全国区の商品にしたいということで、2000年に南部町の南高梅と組み合わせた第一号商品「うまかのり梅(ばい)」を発売開始。1年目は400万円の売り上げで赤字決算で、部員の中から不満の声も出たので本年で話し合った。海苔を量産した方が儲かるということで52名から17名に減った。元々漁協の業務命令だったのに漁協理事からもバッシングを受けたという。
漁協には頼れないことから、市役所に相談した。仲良しクラブではなく起業を目指した。翌年の売り上げは700万円に増えたものの、賃金は出せなかった。元々換金できないキズ物の最低価格をアップさせ貢献したものの、漁協との関係で板ばさみになった。作業は漁協の仕事が済んだ夕方5時以降や土日や有給休暇を取る等全てプライベートな時間を当てた。
佐賀は海苔王国といいながらも良いものは県外に出荷され、気軽に食べられる商品を考えた。海苔を周年食べて欲しく、海苔のフルコースのデザートをイメージし、海苔を使ったアイスクリームを開発することに。原料はジャージー牛乳に、絶滅危惧種のアサクサノリを使った。ジャージー牛乳が強く、海苔の香りがしなかった。焼き海苔をミールにした物を、最後に入れることで香りが残った。
平成16年に「うまかのり梅」を第5回全国シーフード料理コンクールに出品し、水産加工品部門で農林水産大臣賞を受賞。使用している原料の良さを評価された。また、ハードルの高い「焼きのりアイス」を優良ふるさと食品中央コンクールに出品し新製品開発部門で最高の農林水産大臣賞を受賞。このことにより、地元マスコミにも取り上げられ、メンバーの士気も高まった。古川さんは漁協との二足の草鞋に限界を感じ、06年に漁協を退職。
残った3名で「佐賀市漁村女性の会」を立ち上げたが、漁協女性部からは敵対視された。起業には友人・家族も全員反対された。佐賀県流通課の特産品を売り出す事業があり、中間卸を使って営業の肩代わりをしてもらうこと知る。魚価安定基金に事業があり、補助金を受ける要件が法人であったため、LLC(合同会社)を08年に設立し、これが大きな転機となった。09年に販売請負人の派遣事業があり、全国的な営業展開ができるようになった。品質管理の厳しいコープ近畿から受注のあったほか、コープ中国やコープ神戸や静鉄ストア等からも受注があり、1回で数千本単位の注文が入る。こちらから注文しなくても、先方から注文が入るようになった。 現在は自分の小売店を持てたが、今後は御握りカフェや海苔の歴史資料館を作りたいという。
『合同会社佐賀市漁村女性の会』ホームページ http://umakanoribai.area9.jp/